先日、
量子場を見る講座を受けたんですよ。量子とは何かと一言でいうのは難しいんですけどね〜うむむ
物質の最小単位なんですって。
人体もその周りのオーラも
量子の集まりでできている。
(猫も^^)
原子、分子、陽子、中性子などありますがそれよりも小さい。
その講座の中で
トイレ掃除も膝をついて手で丁寧に
便座の後ろの方まですると量子場が違うというのでやってみたんです。
何が違うのかな?何か感じるのか? と思い興味本位で。
いつもトイレきれいにはしてますが
床は掃除機やクイックルワイパーなんかでしたし、
そんな気合いを入れるというよりはフツーにしてました。
なので
よっしゃ!と いつもと違うトイレ掃除に全力で取り組む 感じをやってみた(笑
そして、ぴっかぴかになって行く中で ☆!気がついた@v@
そっか!トイレ掃除をすると運気が上がるとか、トイレに神様がいるとか、
いろいろ聞くけど
そのきれいにしようという意図と共に、すみずみまで気を配らせ掃除すると
気が行き渡り 気が枯れがない(ケガレがない)ということなんだ。
(汚れ)ケガレはもともとは「気枯れ」から来ている。
汚い(キタナイ)は気が無くなっていることなのだ。
そして結果きたなくなるのだ。
そっか 気を行き渡らせるとそこの空気が変わる。
空間にいい気が満ちているとそこにいる人はそれを感じ取るんだ@0@
そして そういう所に人やお金が集まるようになる。そう気持ちいいから💗
そういえば高級な旅館やホテルなど
お掃除の現場を見てなくても
何かしらんけど行き届いてて凛とした空気感を感じていたりするな〜
単純に気持ちいいのです。そこの量子場を感じているのですね。
そして、その気持ちいいな〜と思う人が多くいるから
またその場がさらに気持ちよくなる。
高級な調度品も 作った人の思い 量子場も感じているんだな。
天然の木をたくさん使ったものも気持ちよさを感じるね。
高級でない小さなお店でも掃除が行き届いてるとこはまた行きたくなるしね。
逆に、気が枯れている場所には ゴミがたくさんあったり、落書きがあったり、
犯罪が起きやすかったりする。
なぜだか何となく行くとヤバい空気がある。
そういう場所の量子場も一瞬で感じ取っているんですね人は。すごい@0@
そして そういう場所に長くいると間違えなく
そこの量子場からも見えなくても人は影響を受けている。
人間が環境動物といわれるのは、量子場を知ると全て説明がつきそうです。
トイレ掃除に限らず いい気を込めるってある意味隠せないもの。
見えないようで そこに現れてて感じ取っているんですよね人は。
仕事にしても、お料理でも、人付き合いでも。
以前、ハワイにいたとき評判のサロンに行き、そこの
ナンバーワンのセラピストにロミロミをしてもらった事がある。
笑顔だったけど 私の肌から感じたのは、あ〜この人チョー忙しいんだな。
BGMはステキなハワイアン。でも
彼女の忙しい波動で せっかくのマッサージ、リラックスできなかった。
以前、ポットラックパーティをしたとき
料理めんどくさいし、私、忙しいしって思っている人の一品はまずかった(苦笑
お料理大好きでみんなでおいしく楽しく食べようね〜と
いつも言ってる人の一品は 優しい味でとってもおいしかった!
思い込みじゃないんですよ〜誰がどれ作ったか後から知ったんですもの^^
私はロミロミをしているとき とても集中します。
いろんなものを感じとり、解放の準備ができたものを
リリースする媒体になるにはそれを感じ取る「気と集中力」が必要なのです。
量子場のことを習っていくと
ロミロミって量子場を調整している側面があることがよくわかってきました。
量子場として学ぶと大脳でも理解できるようになって私的にはよかったな。
そして、今まで施術させてもらう中で感覚的にはわかる部分がすごく多かった。
ロミロミも量子場調整も、おまじないや神の力みたいなものではなくて
量子物理学で説明できる(難しすぎて私には無理だけどー)
しかしただ、目に見えないってだけで
こんなにも納得がしにくいものなのですね。
目に見えないものからの影響の方がぜったい大きいわと声を大にしたい(笑
ま、それはいいとして これらは
とてもおもしろいし、確実に自分の生活に直結している。
というか 量子場とうまくつき合うと人生はもっと楽しいものになるんですね。
またまた日々 実験 研究ちう。いと楽し💗
体も軽い♫
mahalo
「魂」 たましい
こういうお話、好きじゃない人はどうぞスルーしてください。
あ、そういう人はわざわざブログ開けませんよね^^
この感覚は
伝わりにくいかもしれないけど、
魂というものは
涙が出るほど美しいんです。
美しいし、純粋だし、強いし、躍動も静けさも持ってる、
そして何よりハンパなく かしこい。
これは そう全員の魂がそうなんだとロミロミを通して実感しています。
イヤ私はたいしたことない・・・なーんて、勘違いと自己卑下はナシですよ^^
読まれているあなたも、もちろん素晴らしい魂の持ち主なんです。
そろそろ素直に認めませんか💗(笑
自分にダメ出しばかり。ぜんぜん理想の状態と違う・・・と
それはそう
自分が「頭」で考えてる素晴らしいや賢いとは違うと思います。
むしろ小さな「頭」の領域が満足してなくてもぜんぜんOKで
その狭く小さな しょーもない常識といわれるものや
他人の価値観がつまった頭と つき合い方を変えるいいチャンスです。
いらないおしゃべりが、不安が、
ぐるぐる1日中へビーローテーションするのを一度 傍観してみる。
そう 観察者になって ふーんこんなコトがテロップのように流れているんだ〜
くらい 軽く「ある」を認めるだけ。
「あるね〜」だけ。
もっと続けたければ人間ドラマにどっぷり浸り
感情の揺れ幅を楽しんだらいいとおもう。
なんて私って 不幸なの:;
どうしてこうなのー 可哀想でしょ わかって〜ToT とか。
でも、そのドラマ、キャストが違うだけで何かもう何度もやったな。
もうそろそろ 舞台の幕が下りて 第二章
違う私を生きてみたい!と意図すればそれはそのように現実が動き出す。
本人が精神的に悩んでいたり、病気であっても
魂の導きだと知れば 徐々にでも静かに見つめる事ができるはず。
焦りが邪魔をするかもしれない。
でも焦りも、本来自分のものではない。
他人と比較するのはそんなに価値があるのだろうか?
そもそも 気もちいいのか?ハートに手を当てて尋ねてみるといい。
気持ちがいいなら とことんやればいい。
もやもやしたり胃がキリキリするなら やめればいい。
病気や症状って 本来の自分らしさを失う事でおこってくる現象だとおもう。
自分らしさ=シンプル から乖離(カイリ)し
複雑になりすぎてしまったのが病気の原因なのでしょう。
病気を手放すには 「真似た」借り物の自分を手放すこと。
ただ、だれかのコピーだったりする。
オリジナルではないものをいっぱいしょって重くなっているだけ。
あれーそういえば親が、みんながそう言ってたなーいつも。とか・・・
コピーに縛られるのよね〜(実は縛られたかった?)^^
自分の原本 魂の輝きは埋もれた中からでも
必ず見つかる。
その宝探しはとても楽しい。
その輝きの美しさと細胞が震えるような感動を味わうということで
愛を感じ、自分の中に全てがあるという安堵感がやってくるでしょう。
そして涙と共に流れ消えていく過去のつらかったことにも
経験させてくれてありがとうという思いが湧き出てくるでしょう。
きれいごと と いい人をやめると宝探しが進むの。
だって他人からよく見られたい を手放すことになるもんね。
たくさんの人が イゴゴチの良い自分になって
意識が世界平和に向かって行けますように☆
mahalo
沖縄の世界遺産
斎場御嶽(せいふぁーうたき)
日曜日の午後、
雨は上がっていい天気!
でも、人がたーくさん@0@
そのせいか、世界遺産だけど
ちょっと場が疲れ
気が乱れている感じ。。。。
所々 すばらしいエネルギーを感じる所があったけどあまり長居するのもな〜と感じその場を後にしました。
来る人は 何かパワーをもらいに来たり 願いを叶えてもらおうと、
あやかろうと そういう気持ちで来る人がほとんどなのでしょう。
そういう場所ではないことも わからないかもしれません。
とにかくしばらく閉館でもして静かな時の中で
土地ごとHealされますようにって感じでした。
レンタカーが午後からしか借りれず、神の島と言われる久高島に渡れず。。。T0T
しかたないからPの裏手にある椅子に座って
せいふぁ−うたきの岩と久高島をぼーっと眺めていました。
や〜以外にここはいいわ〜@v@
強いエネルギーラインを感じる清々しい場所でしたよ。
珍しい鳥も挨拶にきてくれました☆
10年ぶりの沖縄。
個人的な感想ですが沖縄の神様?は怒っている。そんな気を感じました。
人々の中にも基地の事も含めそういう思いがあるのでしょう。
何なのか全てはわかりませんが、斎場御嶽に限らず
沖縄にはずっと大切に守って来たものが多々あって本土とはまた違う意味と
「受け継ぎ方、継承の仕方」があるのかな。。。
だから代々の沖縄の人にしかわからない事も多くありそうな気がする。
それは霊的な意味が関係してて
本土の私たちが、このくらい ということが沖縄では
ひじょうに失礼だったり穢すものだったりするのかもしれない。
そういう意味では目に見えないものの中にこそある叡智と
何より自然との調和の大切さを 深くわかっている人々かもしれない。
それが現代人に伝わらないもどかしさか
今回はそんな侵害、不調和な空気を感じたまま帰りました。
このような場所には
テーマパークに行くような感覚で訪れない事ですね。
場はそれを望んでないようなのです。
話は変わって数日前、
いつものように夕方、愛宕浜を散歩しました。
その日はスーパーの袋に塩と砂を入れ持って出ました。
いつもロミロミで使う貝(Shell)の下に敷いている塩と砂です。
そろそろ換え時だと思い mahaloと共に海にリリースして
袋をもったまま散歩。
すると、そこに来るまでは落ちてなかった
空き缶やペットボトル、お弁当のから、ビニールなどゴミが点々と。
一瞬、景色の中で通り過ぎたけど
あれ?
これはこの袋に入れて捨てろってことかな?と思い拾いました。
わー袋1枚あるだけでこんなことができるんだ〜@v@ と
感じたと同時に、私は今まで地球が喜ぶような事
地球に役立つ事、何かしてきたかな〜・・・?と拾いながらハッとしました。
大きめの袋、ゴミ満杯。
手にも2本のワカメがへばり付いたペットボトルを持ちゴミ箱へ。
改めて
人間は地球に住まわせてもらってるんですね。
都市にいると、ついつい忘れがちになります。
ごめんなさいという気持ちです。
そして自然は地球はいつまでもこれを望んでないはず。
日本やハワイでの火山活動の活発化も
何かの警告のような気がしてなりません。
愛は地球を救う。
愛しか地球を救えないんじゃないかな。
何かに反対する運動や撲滅のための戦いではなくてね。
個よりも全体意識。
エネルギーの向ける方向を一人一人が考える時が来てるようです。
読んでくれてありがとうございます💗