やりたくないことに
頑張りすぎていることに気がつこう
私達はいつか死を迎える
限りのある人生なのに
やりたくもないことをなぜ頑張るのだろう
ひとえに そうしなさいと
教えられただけのことじゃないのかな?
やりたくもないことを頑張るのを
「我慢」という
「我慢」
染み付いてないかな?
染み付くというより染み込んでたりする^^;
昭和は我慢で作られたしね。笑
「我慢という感覚」は 本来の自分ではないことを訴えている。
苦しかったり 緊張したり 息ができなかったり 疲れたり
と体に反応が出ているでしょう?
だから我慢は自分に強く言い聞かせないとできない。
『我慢だ!』と無理やり言い聞かせて辛いことを耐え
時間が過ぎるのを待っている
「時間の無駄使い」が「我慢」なのだ
限りある人生の時間がこうやって浪費される。。。。
でも人はこれにも慣れてくる。
我慢し慣れた人は 奴隷のような意識の中で生きる
私が我慢すればいい・・・とその時を殺し
そこをみないようにする
これがパターン化すると
いつものことよ。と言い、なんとも思わなくなるのだ。。。
しかし 自分の深い部分では それは無駄だと「わかっている」から
我慢ばかりして生きている人は 常に焦りを感じている💦
外側ばかりに気が行くので 満たされず
他と比較し うらやんだり 自己卑下したり
ダメダメもっと我慢が足りないのだわ・・・とやばいスイッチが入るのは
罪悪感や 無価値観からだ
こんな自分だから(罪の意識) ダメなんだ (価値がない)と
さらに自分の価値を自分で下げる。。。
だんだん 我慢してるのに
何も得られてない成し遂げてない感覚が怒りになってくる。。。
こんなに我慢して真面目にちゃんと迷惑かけないように生きてるのに・・・
抑圧したストレスは増幅され
ケーキを食べようと酒を飲もうと温泉に浸かろうが何をしてもなくならない
ただ ごまかしの回数が増えるだけ
これは本当の「労い:ねぎらい」ではないのだ。
そして周りにも我慢を強要したりする
子供にもその生き方を強要してしまう。無意識にだ。。
子供はその中で思い悩み 親の喜ぶ顔を見るのために自分を殺し従おうとする・・
しかし それは 親も子も幸せから遠ざかる
我慢ん強い人は
どこか自分がいつも不安定なので
依存できる何かを探し そこに所属さえしておけば大丈夫だと丸投げしようとするが
依存先が酷いとこならより罪悪感や無価値観が深くなる
(そもそも罪悪感や無価値観があるから これが強化されるような人と縁ができる)
我慢をやめたら 自分がダメになるのではないか・・・
という言葉は
言い換えれば
見張って厳しくしておかないと 自分なんて信頼できない‼️
と翻訳できる。
こんなつまらん自分 と 自分で自分を痛めつける行為をやめる気はないということだ
パターンはそれを意識しなければ、自動的に繰り返す。
だから
死ぬまでこれを繰り返したいのか もう一度考えるといいよ🌱
ラムサ曰く 私たちは 「忘れてしまった神」 なのだそうだ
神は何でもできる
だから自分をこうやって力のない価値のないものと貶め
痛めつけ殺してしまうこともできるのだ と・・・
自分をいじめるのが楽しければやればいいけど、
我慢の他に方法がない!と決めてけて閉じ込めているのは
自分の選択だと知ろう。
辛いのなら 他の新たな道はいくらでもあるよ✨
我慢ばかりの人は
とても変化を怖がる。
また我慢が増えると やる前から決めつけているから
(新しい我慢より慣れた我慢を選ぶ)
我慢って、例えばこんな感じ
ずっと硬い美味しくない食べたくないものを食べてるのと同じ
ま、いつもこんなもんよ仕方ないわよ・・・
と言いながら
体は消化不良をおこし 必要なものは吸収されない
自分は素晴らしいものを吸収する価値がないと 受け取らないのだ。。。
「自分を許せない」という感覚が強くなり
じゃあもっと許せないようになるために と病やトラブルが用意される
それは罰ではなくて 自分で創っている。
創造しているのは自分なのだ。
一番 正直なのは 体の反応
体と無意識は繋がっている
だから あなたを
苦しめ、緊張させ、呼吸が苦しくなり、疲れる
そんな環境から離れる必要がある。
そして自分を許すことに真摯に向き合う そんな静かな期間が必要💞
それから
本当に 興味のあること やってみたいことを
精一杯 がんばったらいいよ⭐️
興味のあることなら 苦労というより
試行錯誤となって いい人生だったと思えるよ✨
さあ
そろそろあなたの中の✨神性✨を認めてあげて💞
mahalo