子どもを持ちたいと思えない
子供がいても可愛いと思えない
家族が大切がわからない
家族が欲しいと思いながらも
どこか抵抗が拭えない
人をバッサリ切ってしまう
または
執着してなんとか握り締めようとする
ありのままでいいがわからない
周りが気になり表現できない
助けてと言えない
お腹が冷たい
どこまでいっても自分にOK出せない
何か役に立ってないと存在してはいけない
人はつながっていると聞いて知って入るけど
よくわからない
本当の意味で 人と繋がるってなんだろう・・・・・
もしあなたが
母性の欠けつした環境で育てられたとしたら
はっきりとした記憶がなくなってても
そうだったとしたら
どこかこのような感覚を感じながら生きているだろう
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産む
育む
育てる
寄り添う
見守る
受け入れる
許容する
手を差し伸べる
自由に表現する
遊ぶ
優しく包む
無邪気
自由
女性性 母性 どのくらい自分の中にあるのか
私も本当はよくわかってなかったのかもしれない。
私自身 解放も進んできて
だいぶ軽くなってきたと思っていたけど
最近 この「母性」について突きつけられるような出来事が起きた。
というより
その出来事によって「母性」というワードが出てきたのだ
は!私は母性が失われたままだった。。。
母性のワードが出てくるまでは とっても苦しかった
どうして自分が無意識にそのように反応をしてしまうのか
びっくりするほどわからなかったの。
久しぶりに深く悩んだよ(笑
自分の中に残酷さを見たり エゴを見たり 存在への罪悪感 葛藤 抵抗
そうこうしていて数日
より深いところの記憶が出てきた。
それらを量子場調整で解放したら、
体 脳は 疲れているのに
どこかに光がかすかにさす 兆しのようなものが感じられた✨
お腹の深いところが柔らかくなったのがわかった
思えば 母性はゼロではなかっただろうけど
7歳くらいの時に
こんなに子供って苦しいのなら 子どもを産んではいけない
と自分に言い聞かせたのは覚えている。
尋常じゃなく辛い思いだったと記憶があるが、
そのことは調整済みで
それを思い出しても大丈夫になっていたのだけど
その以前の
それを決めてしまうような環境にいたときの幼少期の記憶が
最近のその出来事をきっかけに
蘇った。。。
たまたまTVでみた
虐待を受けた人が親になって
自分の子供の体を洗っているときに
鮮明に虐待の記憶が蘇ったといっていた まさにそんな感じ・・・
心の痛みとともに
深い悲しみも伴い現れ そして消えていった✨
その後は
私の中の萎縮して固まりかけていた母性は
本来の光を取り戻すのだろうか・・・
という心配よりも
まだ生きている間にそれに気がつけて
おまけに解放できて✨
その苦しい母性から自由になれてホッとする自分が存在していた
解放って
時に
やめてくれーこんなこと
なぜまたこんなことが起きるの?
もう終わったことじゃないの
て感じたりするけど
改めて
出てきてくれてありがとうなんだね✨
そして解放 調和 統合 言葉はなんでもいいけど
段階があって
その都度必要な時にそれが起きるってことが
自分のことを通してさらによくわかった。
軽やかになってゆくことを選んだ人は
みんなそれぞれにその時々に経験する。
解放すると繰り返さないから他の道を選べる✨
パターンが崩壊するって 心のいらない城壁が壊れるよう
条件反射が起こらなくなる
わけの分からない自分に困惑することがだんだんとなくなってくる。
問題が起きた時の重い周波数から
違う次元の軽やかな周波数が変わるからだ✨
問題が問題じゃなくなる周波数にね✨
自然といろんな計らいがあるんですね
最近色々あった方
きっとあなたも大丈夫❤️
mahalo