頑固
頑固って 必ずしも悪い事ではないと思うんだけど
度が過ぎると・・・ ねえ^^;
つらくないか!?
もちろん私の中にも頑固さ あります。
皆それなりにあると思うんだ。
頑固って固いところだから
頑固なカタイところと 柔軟でしなやかなところと
両方あればいいんだろうね きっと。
人間は骨と肉でできているから
カタイ骨とやわらかな肉 両方いる。 これで生きられるんだもんね。
カタイ骨だけのような人も恐いし
肉だけの芯が無いふにゃふにゃ人間も恐いし
でもこんなかんじの人もいるよね 笑
最近 改めてわかった
頑固って とても力を無くすものだと。
こだわりに閉じこもっているからね。
本当は苦しいんですよ。
私ってこうなんです!
私はこういう人間なんです マル
だって、ずっとそうだったから マル
こうしかできないんです マル
そうなんです! マル 。!
って言われたら
そうですか、どうぞどうぞ としか言えないし
それで別に私は困らないんだけど
頑固さで力を失ってくると、更に変わる事が難しくなる。
年をとってきたり
病気だったりだと なおさらのようだ。
パワーが無くなるからだ
変わることより つらいけど慣れた場 「頑固」に居続けようとする。
でもやっぱツラいんで 頑固を美化して語り
共感を得ようとする。
こんなに頑張ってるのよを主張し
物語にする。
まあ それもその人の人生。
しかし
頑固って非常に息苦しさと緊張をつくるんですよね。
((観察術講座に出た方は 「頑固」の波動を観てください
「柔軟」も観てみて 比較するとおもしろいよ。))
そして、このようなものは
非常に「首」「頸部」に歪みを作るようなんです。
首回り上半身と足首など 固くなる。
(これに関して詳しくはまた次回)
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子供の頃は体が柔らかい。
だから 固いもの
教育
秩序
規則・ルール
常識
対社会との接し方
を受け入れ その子の基盤になるものを形成する。=骨のようなもの
でも この柔軟な時期に
ある意味 全て受け身な時期
何でも素直に吸収してしまった。
スバラシイものばかりでない
もう今の時代に役立たないものも
親のエゴもいろんな集合意識も気がついたら自分の中にある
そして それをいい大人になっても
けっこう持っているものなのだ。=いらない硬い骨のようなもの
大人にると 誰しも体が固くなってくる。
だからこそ 今度はやわらかでしなやかで柔軟なものが
必要になってくるのではないだろうか?
その時に 自分の中のいらない骨のような固いものを見直し、
最低限必要なスッキリしたものまでに手放し
柔軟でしなやかな筋肉の動きのようなものを育て生きてゆく
「柔軟な生き方」
にシフトするのが心身の健康に繋がると思う。
自分の中にあるものを 一度 疑ってみるのもいいかもしれない。
「違和感」として無意識はいつも知らせているのだから
そしたらそれは ただ
その方がいい子だと言われたから
社会的にスマートだから
良く見られそうだから
頭良さそうにみられるから
親がそうしていたから
ただただ そういう本来の自分ではない
古い誰かのものかもしれない。
これらを持ち続け離さないと決めている
これを、頑固と言うんじゃないかな。
その時は 必要だったけど
大人になってもう受け身だけでなく
能動的でもいいんだからもういらないかもしれないよ。
頑固、固執(こしつ)を解放していくと
やっと 本来の自分の個性がでてくるね
やりたいこともわかってくる
柔軟さの中に 光りが通り輝くものが見えてくる
狭く固執した これが私!!! マル から
広がりのある これがわたし〜???⭐️⭐️ わ〜@v@
へ
シフトする事も
いくらでも可能なのだよ。
量子の世界をうまく使えばそんな大変でもない。
大きな宇宙からみれば 小さなコト。
さあ いっしょに広がりのある世界へ
軽い足取りで歩こう。
mahalo