さみしさというもの
寂しさというものは なんだろう
他の感情とはちょっと違う・・・
というか別というか
いい言葉が見つからないのだが
誰の中にもあり
もっというと人類の中に
産まれたときから死ぬまであって
寂しさの程度はそれぞれとして
一生それと付き合っていく そんなものではないかと思う。
備わってないと生きていけないものなのかもしれない。。。
寂しさを無くそうと
寂しさを埋めようと
私たちは一生懸命で
寂しさを感じなくていいようにと思いあれこれ奮闘するんだけど
寂しいを
自分の中の 「寂しい」を消すんじゃなくて
さみしい感情の存在を認めることが必要なんじゃないかと思う。
「寂しい」感情をどうぞ私の中にいてもいいよって。
寂しいを否定して生きていると、
寂しいから周りのいうことに(心はいやがってても)従うのが常になり
見捨てられないようにおびえ、
寂しさを感じたくなくてパートナーを捜し
この人が自分の寂しさを埋めてくれるとパートナーに過剰に期待し
寂しさを感じないように
強い刺激を求めたり やたら予定を入れたり あらゆる依存症
人によってはワーカホリックになったり
これらがやめられないのは
恐怖によるもの
やめると以前よりもっと寂しさを感じそうで怖いから。
でも寂しいを否定した状態だから
いつまでも満たされない自分が影のようについてくるし大きくなっていく。
なもんで
誰も分かってくれない!と周りを悪く思ったり
自分を責めたり
そもそもそんな自分に嫌気がさしてしまう。
もし
もし、寂しいを肯定してみたとしたら
寂しいは「生きたい」と同じようなものであるを前提だとしたら
寂しいから「人」というものは
誰かと寄り添おうとするし
寂しいから
相手を理解しようとするし
寂しいから
人に認められようとするし
相手の喜ぶ顔をみてうれしいというのは 世界共通じゃない?
人はその瞬間 寂しさから解放され
エネルギーの循環がおこるからじゃないだろうか
だからみんな人の役に立ちたいとか
貢献したいという言葉がでるんじゃないかな。
寂しい心がなかったら
人間らしいだろうか・・・?
寂しい心がなかったら
世界は平和に向かおうとしないだろう。
だから寂しくていいのだと思う。
さみしさって 本当は素晴らしい贈り物かも。
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「私、寂しいな。」
私自身そんな言葉 言ったことないかもしれない。身に覚えがない^^;
そんな言葉 言ってはいけないと思っていた!(最近 気がついた@0@)
強がっててね〜笑
強がっている人ほど影で一人で泣いてるんですよね 笑
そんな人 多いんじゃないかな。
ムダに我慢強くなっちゃってね。
そんなこと言える空気じゃない家庭に育ったら
寂しいを閉じ込めてしまっている。
寂しいを隠し通し 自分がわからなくなってくると
何だかしらない怒りでてイライラし
何かの拍子に出てくる悲しみに困惑し
何だかいつも怖くておびえてて
そんな自分を 無視し さらにわからなくしてしまう。
寂しいは 「循環しない状態」だと思う
例えば パートナーとわかり合えない という状況も
自分のエネルギーと相手のエネルギーがうまく廻らない気持ち悪さ=寂しい
じゃないのかな。
親とでも
友達同士でも
職場の人でも
世界情勢をみても
循環しないで淀むのが 人は本質的にイヤなのだ。
淀むと腐る
血液が循環しないと病気になって死んでいくように
循環を人は望んでいる。
地球も循環している。
目に見える世界も
目に見えない世界も
循環がないと存続できないのだ。
人はわかり合いたいのだ
循環したいのだ
それに 寂しさという感情が一役買って出てくれている
そんな気がしています。
あなたが ふと寂しさを感じた時
静かにそれに寄り添い
その寂しさと
どうぞ杯(さかずき)をかわしてあげてください。
緊張した何かが氷解していくことでしょう。
あ、全然関係ない話だけど
はじめて 「燃えよドラゴン」のDVD見た。
大興奮!!! ブルースリーってちょーかっこいいね 笑
彼の肉体とスピードもすごいけど
彼の哲学に感動した@v@
美しかった⭐️
mahalo
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