湧き出る「欲」を認める
たくさんの方から感じるのは 「抑圧しすぎ」 のメッセージです。
しかも、それがあってこそ常識人。みたいに人々の中に存在しています。
これは多くの日本国民が共通に持っているもののようです。
自分の向かいたい方向に進むよりも 気になるのは人の目。
それも ごくごく近い人たちの反応を気にして自分で自分を動けなくしている。
それも1つの生き方なので 別にいいんですけどね。
どうぞそうぞ ご自由に。
でも、頭で上手に抑圧できてるつもりでも
徐々に内側からの正体不明?とも感じるようなものが ある時からフツフツと湧いて来ているはず。
それを認めないとますますひどくなる。なんだか我慢できないーっ! ってね。
感情は私たちの内なるメッセンジャーですね。
何を訴えているのか 耳を傾ける勇気はありますか?
それとも 恐怖がそれをまだ ハガイジメして押さえ込んでいられますか?
欲を認めるということはある意味恐怖かもしれません。
でも どうして自分の中に
欲を持つことが怖いというプログラムが入っているのでしょう?
どこかで欲深いのは罪だとか
欲に溺れるとみんなに非難ごーごーで全てを失うとか
そう刷り込まれているだけかもしれません。
欲=金=汚い という 固執し、ひずんだ見方の洗脳を知らず知らずのうちにうけ
お金に対しても嫌悪感を持っている方も多いでしょう。
豊かさから遠のく考えですね。
欲とは 生きること。
みんな自然に持っていて、それが成長や繁栄をもたらしてきたのに
悪者なんですよね。かわいそうに。。。
個人的には そもそも日本人はとーっても欲深いと思います。
とてもとても欲深い。欲のかたまりですよ(笑
じゃないと こんなに便利で隅々まできれいで細かいものにあふれて
繊細で精密できちんとした国にならなかったと思います。
常にもっともっと 今も行き着くところを知りません。
楽してもうけるのは悪!みたいな風潮がありますが
楽して時間を得る
楽してエネルギーを確保する
そして人生を素晴らしいものにしたい。
そんなものを作って来たのが人類の歴史なのではないでしょうか?
楽してもうけるのがいけなかったら
電化製品を捨て、薪を切ってきて ご飯を炊き風呂を焚くことです。
お掃除ロボット・ルンバなんか使ってる人は犯罪者じゃないですか(笑
そうすることで時間や自分のエネルギーの温存でき
もっともっと自分の満足する状況を作り出してきたのです。
楽してもうけるのは悪!はお金のことだ。と言いたいのはわかります。
でもお金もエネルギーなのです。
そう考えれば 日本人は究極にエネルギーを求めてきて
今も それを求めていると、認めてみるのも一つの方法かもしれません。
認めると、嫌わなくなります。
お金を含むエネルギーをずっと求めてきた私たち。
それによって新しい世界が産まれ恩恵を受けている。
そう思えれば
物やお金にありがとうという気持ちが生まれます。
日本は高度経済成長でお金ばかり求めて そのあげく
物はあふれているけど幸せは無い。
失われた20年とかなんとか・・・TVでも言いますよね。
確かに加減を知らないので行き過ぎたところもあるでしょう。
でも欲を求めて結局何もいいことは無かった。と言わんばかりです。
そして、繁栄する欲を持たないようにコントロールされてきました。
見事に日本人は欲を悪だと思い
欲しがらない エネルギーの無い でもうっぷんのたまったそんな人たちが増えています。
そんな人たちの考え方は やってみたいことより 目先 損か得か?
・・・ぶっちゃけ、せこいです。
お金を嫌っていながら宝くじを買います。
欲を認めて子供のように求める。
あれをしたい これをしたい
あそこに行きたい これを買いたい
こうなりたい
全部片っ端からやってみるってわくわくしませんか?
最初は小さなものからでもいいと思います。
不思議と欲を叶えよう!と決めた瞬間から
いろんな宇宙からのはからいが起こってくるはずです。
叶えたら幸せ感をしみ〜じみ感じてください。
認めて求めて求めて そうして欲する物を求めて手に入れた人たちは
本当に自分にとって何が必要なのか?
その経験の上からわかってくるものです。
そして、心から求めるのでまた循環してくるわけです。
人にどう思われても自分の声に従い続けた人たちが行き着くのは
自分の欲求に社会の貢献が含まれたものになってくるのです。
抑制しないで欲求に忠実にしていると
共に繁栄する 弥栄(いやさか)のものしか選ばなくなるのです。
共に繁栄するものを選ぶと 「放出」の喜びを知り
その意思、ビジョンに沿って繁栄していく。
自分が満たされて愛を放出でき
エネルギーを放出でき
人の役に立つこと(放出)が喜びとなり豊かさにつながるのです。
ビジネスが産まれるかもしれません。
ビジネスも自己表現(放出)の一つだからです。
でも、ブランド品で固めてギラギラじゃらじゃらして自慢する人もいるじゃない。
という人もいるかもしれません。
そのじゃらじゃらの人たちは何かの感情の代替えとして、そうしているのです。
自分の心の穴を恐怖で認められず 物で埋めようとする自信の無い人たちなのです。
欲を認めて、求めてないと 自分がわからなくなるでしょう。そして
人のためになんてやってられるかい!
と、どっかで苦しくなるのです。
いつもエネルギー不足で
なにかタダでもらうことばかりに頭がいき
自分が社会で貢献できる素晴らしい存在であることを認められなくなっていくのです。
小さな欲求からでもいいです 自分のために
認め 求め 叶えてあげて 喜んで。
そうしていくと 意外な自分の能力をみつけたり
過去の全く意味がなかったと思っていたものが繋がってきたり
自分を信じることに繋がってくるはずです。
この肉体を持って経験すると決めていることが誰しもにあるはずです。
mahalo
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sekstelefon (金曜日, 03 11月 2017 23:05)
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