春めいてきました。散歩にでかけ 深呼吸〜ハーって したいとこですが・・・
大気汚染 気になってしまいます。
個人個人の行動が 社会の問題になり 国境を越えて地球の問題でもあるということを
知らせてくれていますね。
子供たちが走り回る姿も今日は無く なんだか寂しいですわ。
気を取り直して 今日は筋肉の記憶について書いてみます。
マッサージをしていて その人の筋肉や組織が教えてくれるメッセージがあります。
それは手の平から感じる周波数なのか 繊細で微妙なところなのですが
筋肉や組織には確実に記憶があると感じています。
いくつか例をあげると
子供の頃 親から おまえは体が弱い弱いと言われ 今もそうだと思い込んでいた方は
その言葉の呪縛から からだ中の組織ががそうなるよう演じていました。
数年前、激しい転倒をした方は 傷は治っていても
その時の痛みの記憶で 筋肉が常に恐怖と緊張状態で固くこわばっていました。
以前、あなたは背骨が曲がっていると整体師に言われた方は
ずっとそう思い込んでいるので 実際、背骨の湾曲がないのにもかかわらず
まるで背中の筋肉がそれを実行し続けようとしてるように左右のアンバランスを作り出していました。
食事療法してもサプリメントを飲んでも 運動をしても届かない領域。
それが、言葉の呪縛(制限)だったり トラウマだったりします。
そこまで影響するのか!と驚くほどです。
実は言葉の呪縛(制限)やトラウマによって
それぞれの人のプログラムが作られているのではないか・・・と思えるほど。
そして本人は 言葉の呪縛があるということも トラウマがあるということも気がつかない場合が多いです。
実際 私の中にもそういうものはたくさんありましたし、今後もまだでてくることでしょう。
今では気がついて解放することが気持ちよくなってきました(笑
自分で気がついた後 やっと 「あ、そこに捕われてたんだ。」と腹に落ちる。
腹に落ちたと同時に もう捨てることができたと同じなんですね。
そう「解放」 解き放たれる瞬間です。 それは そこから自由になるということ。
もう そのことが頭の中をぐるぐる回想して支配されることが無くなり 飛び立てるということ。
確かに ケガやアクシデントで組織が損傷し、
いやでもその記憶と毎日向き合わなければならない状態があったり、
遺伝などにより 生まれつき弱い臓器があったりすることもあるでしょう。
それをふまえるので 一病息災 という言葉があるのかもしれませんしね。
でも、例えば うちはがん家系だから 私もがんになるかも・・・
なんていうのは 呪縛から来る言葉にも思えます。
その呪縛があると その方向に向かいやすい。だって すでにイメージしてますもんね。
ならば 解き放つという選択肢もあるはず。 それは本人の自由ですけどね。
身軽になって 生き生きと生きてほしい。
そして そうなりたい人たちと縁がますます広がっていくような気がします。
マッサージ中、そのブロックを緩和した方が良さそうな時
私は筋肉や組織に直接話しかけることがあります。
もちろん 本人へのリスペクトがある形で。
本人が寝ていても筋肉や組織はわかってくれるようです。
不思議な話ですが そう不思議でもない話。(私の日本語が不思議ですかね?^^;)
怖かったね、でももう終わったよ。もう緊張をほどいていいよ。
あなたの骨は大丈夫。まっすぐだよ。
あなたは親とは別の人生を生きていいんですよ。などなど
シュチュエーションによって人によって様々ですが
私、個人が相手をコントロールしようとするものではなく 愛に基づいたものであることはかわりません。
頭で思い出せなくても、筋肉が覚えている記憶。
「筋肉の喜怒哀楽の記憶」
反射的にとる自分の行動を 客観的に見た時 発見があるかも知れませんね。
mahalo
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czytaj dalej (金曜日, 03 11月 2017 21:19)
przemyślidzki