すっかり秋になりました。
日曜日のイスラ・デ・サルサは 台風でまさか!の中止になり
みんながっくしT0T
自然の前において 人は無力ですね。
なんだか夏を楽しみ切らずに 秋になった感じですう。
私たちダンサーは 衣装もろもろ用意し ぎりぎりまで練習をしてました。
個人的には食事制限とアルコール禁止が
自分で決めたんですけど しんどかったですね^^;
でも、ステージでは思い切りはじけて、みんなといっしょに 楽しんで
その後に ラテンの生ライブを聴き おいしいビールを~~~@v@♪♪♪
なんて思ってましたけどね。。。
しかし、今回 改めて感じたのは エネルギーの行き場のない苦しさ!
発散する機会がない、
生かすチャンスがなくなる。
どこにこれをもっていけばいいのー?というのは 相当なフラストレーションだということ。
こういうことは身近にもたくさんありますね。
例えば、 自分たちで考えた 企画案件がボツになったり、
片思い中も そう 行き場がない。
子供が あれしたい!と言って、親がダメーーーっ!ということもそう。
厳しい決まりの中で 自由に行動できない
自分の中の判断基準が厳しくて 自由に行動できない
とかいうことは、日本の社会でも家庭でも そこら中ありますね。
こういうことが 少しづつたまっていくことが
ストレスがたまるということなのでしょう。
日本には うつの人がとても多いですね。
うつになっていくのは エネルギーが無いからではなく
エネルギーの行き場を失って絶望してしまうからなのかもしれません。
今、世界中で暴動が起きています。
いいことだと肯定するつもりはありませんが、
これも、自由に人間らしく生きることが難しい世の中で
エネルギーの行き場を求めての行動とも考えられます。
うっぷん晴らし。
ガス抜き。 これらは
隣国で起こっている 野蛮な出来事・・・ではなく
それを見せられている自分たちの 鏡の部分でしょう。
ただ 表現の方法が違うだけのように思えます。
いろんな人がいます。
自分のやりたいことがあって、それに向かって自由に出来ている。
いわゆる 自分のエネルギーの向ける場所があって
エキサイティングにチャレンジしている状態。
ここで起こることは 苦労を苦労とおしまない状態。
やりたいことが見つからず探している という話も良く聞きます。
何かに向かって 一生懸命 身を粉にして努力している人たちを日本ではやたら賞賛し
みんながそうでないといけない という空気が蔓延していますが、
自分自身の求めているものは はたしてそうなのでしょうか?
やりたいことが特に無くても、家族といると幸せ。とか
昼寝が好き^^ とか
猫とずっといっしょにいたい とか
毎日 食べられて 平和に過ごせたら幸せ とか
それもありじゃないでしょうか?
旅先で 大切なことを教えてくれるのはエキサイティングな人たちに限りません。
むしろ そこで自然に日々の営みを送っている人々の
やさしい笑顔の中に 大きな学びがありました。
ただ 庭のベンチに座ってる人が微笑んでくれる こと
道を さっと譲ってくれる こと
気軽に笑顔で話しかけてくれること
ハグをすること・・・
人気だからと 無理に資格を取ったり
防御のために 知識を付けても
薄っぺらい。
世界中の人々が求めてやまない「自由」とは
自分がやりたいように出来る ということでしょう。
経済的心配も無く、人の目を気にすることも無く
将来の不安も無く、健康でいる。
人と比べず 自分のエネルギーが気持ちいのい~い流れになるように
毎日 過ごしていきたい。 そう願うなら、
本当のあなたという人は どんなことが幸せなのでしょうか?
ちょっと 問いかけてみました^^
Mahalo
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haha (木曜日, 20 9月 2012 08:14)
ステージ残念でしたね。
息子達が何事もなく夜、布団で寝ることができ
何事もなく、朝を迎えられることにシアワセを感じ
感謝しています。
今日も、hitomiさんにとって笑顔溢れる日となりますよう。
love.
Hitomi (木曜日, 20 9月 2012 13:51)
hahaさん ああ~なんか 想像するだけで愛がいっぱいの光景☆
天使も近くで見守っていそうですね。
ありがとう。hahaさんもステキな一日を♪
Mahalo